プライドと誇りの違い  ※あくまで私の所感

プライドと誇りって違うの?

先日、会社のキックオフMTG(当社は3か月に一回実施)で、会社の価値観と言うか方向性を話す中で一つ、
顧客・従業員・ステークホルダーを含め、皆が「誇り」に思えるような会社にしていこう。と言う様な話をしました。

ただ私は同時に、無駄な「プライド」は成長を邪魔するし、そんなものは要らない! と思ってもいます。

変にプライドが高い人はぶっちゃけ対応面倒だったり、失敗を認め振り返りながら成長することができなかったり、そもそも失敗が怖くて(傷つくのを恐れて?)、今までの自分では達成できなかった事に「チャレンジ」をしなかったりするので、必要な時に無駄なプライドを「ぽいっ」と捨てれる人は強いと思っています。
「恥をかくのを怖がらない人」とも言えますかね。まったく怖くない人はいないと思いますが。

でもここで「誇り」と「プライド」、何が違うの?(笑)となりました。
自分でも何となく、でも「意図的」に言葉を使い分けながら話をしています。
何で? を考えたとき、理由として二つの言葉は、自分の中では定義が別物でした。

誇りとプライドの違い(個人的な定義)

前置きが長くなりましたが、あくまで私の中の定義として「誇り」と「プライド」の違いを説明すると。

【誇りの定義】

・自分の内側ではなく、外側に向かっているもの。
・すでに完成・達成されたものではなく、現在進行形であるもの。

【プライドの定義】

・あくまで自分の中で完結するもの。
・すでに過去に完成・達成しているもの。

ってな感じですかね。

例をあげてみる(難しかった。。)


ある「歴史ある大手企業に入った人」がいたとします。
その人にとっての「誇り」と「プライド」の違いを説明すると。

【会社を誇りに思っている場合】

歴史があり、社会に貢献している会社や事業、尊敬する先輩や上司、同僚と働けていることに生き甲斐を感じ「その名に恥じぬよう、自分も成長しながら、会社や社会に貢献していこう。」 と言う感じが誇りですね。

【プライドになってしまう場合】

「こんな大手企業に入った俺スゲー。」「給与も高いし、さすが俺。」みたいな感じで、自分が主体かつ、対象が過去で完結している場合はプライドですね。

いやいや、本来これからだよね!と。

例が適当になってしまっていますが、言いたいこと伝わりますかね。

まとめ

整理すると、同じ対象との関係に対してでも「誇り」と「プライド」の意識は別物と言うことですね。
捉え方と言うか、主体がどこにあるのかの問題かな。

「プライド」はあくまで自分が主体。 そして、すでに達成・完成した過去に対するものなので、変化しない。
「誇り」は自分以外が主体。 誇りを守ることは常に「現在進行形」なので、自らは変化し成長する。

あー、すっきりした。

誇りとプライドの違いに関する私の所感共有でした。

あくまで私は「プライド」と「誇り」をこんな感じで使い分けることにします!

※あとがき1

「プライド」「誇り」「違い」みたいなキーワードで色々検索したら、近い意識の記事が結構ヒットしました。
本来は「英語」と「日本語」の違いであり、言葉の定義は同じな為、表現したい事は近くても、ワードのチョイスはばらばらですね笑

※あとがき2

立場が出てくると、本来は自分にとってはプライドで捨ててもいいものでも、周囲にとっては誇りだったりすることもあるため、恥をかくのが難しくなってきますよね。 例えば私個人として恥をかくのは構わないけど、会社の代表として恥をかくと、それは皆の誇りを傷つけることになる場合もあるので。

だから「チャレンジ」と、挑戦の「結果としての失敗」と、「いい塩梅の成功」を繰り返し、「そういうもんだ」と認識してもらえると強いですよね。

私的には、会社として・代表としてチャレンジしたことによる失敗は「私個人」に紐づいて、成功した場合は「会社の誇り」となるのが理想です。
もし失敗した場合「あー、嶽本泰伸 またやってるよ」と。 成功した場合は「さすが、シー・コネクト」と。

どうやったらそうなるのかな。


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